marginal62の書籍レジュメ化ブログ

はじめまして、marginal62です。訪問いただきありがとうございます。ここでは、自分が読んだ書籍を自分なりにレジュメ化したものを掲載しております。専攻している法律系の書籍が中心となりますが、その他にも気になったものはレジュメ化していきます。レジュメ化する趣旨は、自身の学習の過程をついでに発信してしまおうというものです。これを見てくださった方の学習等にも役立ち、また、コメント等を通じて情報や意見の交換ができれば、なお嬉しいです。各種資格試験にも挑戦しております(法律系)。その経過も記事にしていきます。

【憲法】東大ポポロ事件(最大判昭和38年5月22日)

 

こんばんは、marginal62です。

今回は、おもしろいものを見つけましたので載せてみました(笑)

以下の論文は、私が大学1年生になりたての頃のゼミの発表記事です。

法律を学び始めて数か月目の発表でしたが、予想通りのクオリティーです(笑)

そのままのっけておきました。

 

学問の自由と大学の自由-ポポロ事件

最高裁昭和38年5月22日大法廷判決

 

事実の概要

1952(昭和27)年2月20日東京大学公認の学生団体「ポポロ劇団」が正式許可を得て、松川事件(※1)に取材した内容の演劇発表会を開催した。この発表会に警備情報収集のため、入場券を購入して私服で入場していた警察官数名が学生に発見され、捕えられた。この際、被告人学生は、他の学生とともに逃走しようとする警察官を逮捕し、服のボタンを引きちぎる等の暴行を加えたとして、暴力行為等処罰法Ⅰ条1項(六法P1541)違反で起訴された。警察官3名は、謝罪文を書かされ、警察手帳を取り上げられた後に解放された。奪われた手帳によると、複数の私服警察官が少なくとも1950年7月以降連日のように大学構内に入り、張り込み、尾行、盗聴等の方法により、学生、教職員、学内団体等の調査・情報収集を行っていた人か判明した。

 

語彙

※1 松川事件…1949年8月17日に発生した列車転覆事件。

共産党の仕業と考えられ、多数の党員等が逮捕起訴された。

OINT

        被告の救済支援活動をはじめとして、学者・文化人・市民にまで至る国民的運動が広く展開し、判決そのものから裁判のあり方まで司法制度上の問題を追及する事件となった。

 

学生運動…学生が集団的・組織的に行う社会的・政治的運動

労働争議…労と使との間に発生する争議

・公安…政治的集団の観察やテロに対しての備えを行う

 

時代背景

戦後政治の転換期で発生した象徴的な事件であった。当時、極東では朝鮮戦争の進行、国内では占領体制から安保体制への転換などの政治情勢の下で、その動向に反対する運動が全国的に大学を拠点として拡がっていた。このような大学への警察内偵活動を阻止しようとした学生との衝突が頻出したが、この代表的事件が本件である。

論点

  • 学生は大学の自治の主体となるか。
  • 警察の介入は大学の自治を侵すことになるのか。
  • 教授の自由が憲法上保障されるか。
  • 大学の自治の内容をいかに解すべきか。
  • 大学における学生の学問の自由の性格。
  • 実社会の政治的社会的活動に当たる行為は憲法23条によって保障されるか。

判旨

①・②

(前提として学問の自由と大学の自治を享有する主体は教授その他の研究者であり、学生はそれらの自由と自治の効果として学問の自由と施設の利用が認められているにすぎないとして)大学における学生の集会もその範囲において自由と自治を認められるにすぎず、「実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない」ので、「本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

 

憲法23条の学問の自由は、広くすべての国民に対して学問研究の自由とその研究結果の発表の自由を保障するとともに、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨とする。よって、教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれにふくまれるものではない。しかし、大学については、憲法の趣旨と学校教育法52条により、教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由が保障される。

大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治は、特に大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断によって選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の機能が認められている。

もとより、憲法23条の学問の自由は、学生も一般の国民と同じように享有する。しかし、大学の学生として一般の国民以上に学問の自由を享有し、施設を利用できるのは、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。

大学における学生の集会も、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない。

また、その集会が特に一般の公衆の入場を許す場合には、むしろ公開の集会又はこれに準ずるものというべきである。本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものではなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準ずるものであって、大学の学問の自由と自治は、享有しない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を侵すものではない。

結論

この最高裁大法廷判決は、憲法23条の学問の自由の意味、そこで保障される大学の自治の構造等の諸問題を最高裁として初めて本格的に検討し、その後の学説と実務に大きな影響を及ぼしている。その後の学説と実務の展開もふまえて言うならば、そこには以下のような注目に値する論点が含まれている。

Ⅰとくに大学における学問の自由の保障

本件大法廷判決は、憲法23条が、学問の自由をすべての国民に保障するとともに、とくに学術研究の中心である大学における学問の自由を保障しようとするものだとする。なにが真理・真実であるかにかかわる学問活動には、多数決でことを決する政治は介入すべきでないとする公理を憲法23条の基礎に読み取るならば、大学の中と外で学問の自由の保障の仕方が質的に異なるはずがないし、大学と下級教育機関で学問の自由の保障の程度に質的な差異が出てくるはずもない。研究・教育機関一般について考慮されるべきであろう。その後の学説においては、この点について再検討を求める強い動向がみられる。

Ⅱ学問の自由と教育(教授)の自由

本件大法廷判決は、大学における教授の十裕を別として、学問の自由には含まれないとする。しかしⅠⅠで指摘しておいた公理をふまえるならば、この点についても再検討すべき大きな余地がある。「教科書裁判」とのかかわりもあって、学界ではこれを批判的に検討する動きが強く、また、実務でも下級教育機関の教師の教育の自由を認める「杉本判決」も出ている。最高裁も「学テ判決」では、普通教育の教師に、完全な教育の自由はないとしながらも、一定の範囲内で教育の自由が認められるとしている。なお、その後の学説・実務のいずれかにおいても、教育の自由の根拠が憲法23条のみに求められているわけではないことに留意すべきであろう。

Ⅲ大学における学生の自由と自治

本件大法廷判決は、第一審判決と大きく異なり、

大学における学生の自由と自治を、教授その他の研究者の「自由と自治の効果」にすぎないとしている。大学=営造物論、学生=営造物使用者論である。その結果、学生は大学の自治の担い手とも解されていない。しかし、これに対しては学説上の批判がとくに強く、本件大法廷判決後にもその批判をふまえた判決がみられる。「学生は、大学における不可欠の構成員として、学問を学び、教育を受けるものとして、その学園の環境や条件の保持及びその改変に重大な利害関係を有する以上、大学自治の運営について要望し、批判し、あるいは反対する当然の権利を有す」。確かに、学説上も、学生が大学の管理運営にどこまで参加できるかについては一致をみないが、学生の自由と自治に直接かかわる領域については参加が特に考慮されるべきであろう。

Ⅳ警察と大学と学生

本件大法廷判決は第一審判決と異なって、学生の学内集会が政治性をもち、公開のものである場合には、直ちに大学の自治の保障外としている。加えて、それらの点についての第一次的判断権さえも大学から奪ってしまっている。政治的な活動であるか否か、教育的にみて必要な活動であるか否かの判断権を大学から大きく奪ってしまっている。大学における研究・教育・学習の活動が警察官のたえまなき監視の下におかれ、本件第一審判決がいうように「警察国家的治安」状態をもたらしかねない。しかし、本件の、1・2審判決やこの解説のⅠを前提とすれば、学生が、自治の主体であると否とにかかわらず、大学における自由や自治を侵害する行為を阻止することは、当然に認められているはずである。正当防衛は、被侵害者に限定されないからである。

私見

この判例では当時の価値観と時代背景を考慮し、考えていかなければならない。この事件の2か月後に日本はGHQ(アメリカ)からの独立を果たす。その中の政治情勢にあって反対運動が全国展開していた時の代表的な判例であり、現在も大学の自治についての判例として挙げられている。

ポポロ事件については、学生による一方的な暴力行為である反面、大学内活動警察権力の監視と査察の下に置かれることを是認するには、学問の自由、大学の自治の持つ国法上の価値は余りにも貴重であった。この事件を機に大学の自治能力の反省と変化が起こり始めたと考える。しかし、今日の大学人は特権にふさわしい自学と責務と努力をしておらず、歴史として忘れ去られている感じが否めない。

更に今日では、むしろ社会や国民に「開かれた大学」としての自治や改革のあり方が問われており、学生運動も下火が続いている状態である。だが、最近も京大で公安の捜査官が学生に捉えられるなど、警察と学生(保守派と革命派)の対立は続いているのである。

参考文献

  イラスト http://consti.web.fc2.com/8shou3.html

  憲法判例百選Ⅰ[第6版]91 学問の自由と大学の自治

   竹内俊子 

  別冊ジュリスト 学問の自由と学生の自治 杉原康雄

  別冊ジュリスト 学問の自由と大学の自治 佐藤 司

  大学の自治と警察権の発動 谷村唯一郎

  Jurist増刊 学問の自由と大学の自治 戸波江二

  Jurist増刊 教育の自由 内野正幸

  法律時報 学問の自由と大学の自治 小林直樹

  判例時報 東京劇団ポポロ事件に関する大法廷判決 

   日本評論新社