marginal62の書籍レジュメ化ブログ

はじめまして、marginal62です。訪問いただきありがとうございます。ここでは、自分が読んだ書籍を自分なりにレジュメ化したものを掲載しております。専攻している法律系の書籍が中心となりますが、その他にも気になったものはレジュメ化していきます。レジュメ化する趣旨は、自身の学習の過程をついでに発信してしまおうというものです。これを見てくださった方の学習等にも役立ち、また、コメント等を通じて情報や意見の交換ができれば、なお嬉しいです。各種資格試験にも挑戦しております(法律系)。その経過も記事にしていきます。

ジョン・ロック 『市民政府論』

こんばんは、marginal62です。

昨日は、刑法総論から中止犯(中止未遂)をまとめてみました。

 

今回はTwitterで予告したジョン・ロックの思想について記事にしました。

一応、書籍を自分なりにまとめているのでレジュメ化です。

 

ジョン・ロックの自然状態論の特質においては、ホッブズの自然状態論と4つの点で異なる。まず、第一に自由の観念をめぐるものである。ロックは、自由の状態には自然法の存在を認め、法(正義の判定基準)の許す範囲という留保付きで、自分の思うままに振る舞うことができるとする。他方、放縦の状態には法は存在しないとし、ただ自分の思うままに振る舞うのみで、正しさを判定するものが欠けているとし、両者を明確に区別する。したがって、ホッブズの自由論には、正義・公共性の観念が欠如していることになる。その意味で、ホッブズは自由放任主義者であるということになる。第2に、ロックの自然状態には自然法たる理性が存在していることである。ホッブズの情念的人間観においての人間は、自分が正しいと思ったまま行動し、公共性や正義の観念が欠如していたのに対し、ロックは人間を、情念を抑制して公共性・正義を思考することのできる理性的人間とした。第3に、ホッブズで「生命」となっていたものが、ロックでは「財産と身体」になっていることである。第4に、「権力と権限は相互的」であることである。ホッブズの自然状態論では自由な人間は公共性・正義の観念の欠如により自分の思うままに行動する一方、ロックにおける自由な人間は、公共性・正義の観念を有するため、法を無視する人間に対しては制裁を加えることが当然と考える。すなわち、ロックにいう真に自由な人間は、私的自治の原理のみならず、公共性・正義の問題にも積極的に関与する市民的自治の原理にも立脚することのできる人間となる。

 ロックにおける自然状態には法たる理性が存在しており、その理性に従って行動する限りは人々の間に争いは起こらないということになる。しかし、自然状態の中には理性的な要素を欠いている人間がおり、その者は暴力によってでも自らの要求を貫こうとするため、結果的に戦争状態に陥る。これを所有権の観点からみると、生活の糧を得るために自ら労働する勤勉・怜悧な者たる市民がいる一方、労働を嫌い、他者の労働の成果を暴力という強制力を用いてでも自分のものにしようとする争い好きな人々たる王侯・貴族などがいるために戦争状態になる。また、この所有権の対象は労働生産物から労働対象である土地に拡大されていき、その所有権が確立し、それにより土地の改良等の努力もされるようになることで、所有の限度を超えない範囲の蓄積が進展するようになる。そして、所有の伝度を超えない範囲での土地の永続利用が続くと、人々にはこうした専有地に対する私有地化の意識が生まれてくるようになる。また、労働の成果である富の蓄積の進展により、金属貨幣のようなその所有に限度のないものも登場する。したがって、勤勉・怜悧な者と争い好きな人々との所有権をめぐる争いは、国内全域に流通することを目指す貨幣の登場が物語るように、地域から全国へと全面展開することになる。いわゆる、市民革命の発生である。それと同時に、自然状態・戦争状態の不都合を解消する動きも表面化していく。

 自然状態・戦争状態の不都合を解消するための政治社会の創造は、社会の結成に人々が同意することから始まる。先述のように、自然法に従って生きる人々と自然法を守らない人々の間では所有権をめぐってたびたび争いが起きていた。そこで、自然法を守る勤勉・怜悧な市民は、争い好きな人々に対し、市民的自治の原理に従って自ら戦うという自然法の執行を行ってきたが、それにより日々の生活に専念できなくなったことから政治社会の創造を目指すことになる。そこで必要とされたのが、公知の法であり公知の裁判官及び執行権力たる市民政府であった。よって、政治社会の創造に参加する人々は、自然状態での自己の有する平等・自由・執行権を政治社会に信託することになる。ただし、人々は権利を放棄したわけではなく、あくまでも政府という機関がその信託に応じることを期待しているためである(機関信託論)。このように、人間が生まれつき有していた平等・自由・執行権を政府たる機関に信託したといっても、それは政府が信託違反をしない限りにおいてであり、その限りで政府は正義の判定者とみなされる。よって、政府に信託違反・不正義があった場合には、人々はその本来の権利を行使することができる。つまり、本来の正義の判定者として住民ないし国民は、公共性・正義を実現する権利がある。したがって、ロックは機関信託論とそれに基づく抵抗権・革命権を住民ないし国民に認めることによって、私的自治の原理に加えて市民的自治の原理の発動を可能にした。

 

【次回】

アダム・スミス 『道徳感情論』『国富論

 かな