marginal62の書籍レジュメ化ブログ

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憲法論文【営利的言論】

こんばんは、marginal62です。

なかなかレジュメ化ブログのほうが書けていません。(会社法あまり好きじゃない)

明日は、夜までオフなので、出すつもりでいます。

そんなこんなで、今回は、私が興味があって少し調べたものを論文式にしてみました。

テーマは憲法から、営利的言論についてです。

これについての判例は多くないため、アメリカの判例等を参考に書きました。

(ちなみにこれも未完のものです(笑))

 

「営利的言論」

~営利広告の自由の制限とその限界~

 

目次

  はじめに

  第1章 営利的言論の意義

  第2章 我が国における営利的言論解釈の現状

  第3章 営利的言論規制

  第4章 合衆国最高裁判所における営利的言論法理

  おわりに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

 

 現在の我が国は、コンピューターや通信技術の発達により、情報がエネルギー乃至物質と同じような資源とみなされ、その価値を中心に機能・発展する情報社会である。また、一口に情報と言ってもその種類は様々であり、情報自体が商品として取引の対象となる(情報が商品化する)我が国ではしばしば問題を生ずる。[1]そこで、商品やサービスに関する情報(営利情報)に関しては他の情報と比較して、膨大な規制法令が設けられている。[2]特に営利的言論[3](以下本稿では適宜営利的言論、営利情報あるいは営利的表現の語を同じ意味で用いることにする。)は、他の言論より多くの制限を受けるものとされ、いわゆる営利的言論法理が長らく営利情報の地位を規定してきた。

 しかし、今日、社会状況の変化は急激であり、ケーブルテレビやインターネットの普及、発展などといった営利的言論法理を支える様々な環境に大きな変化がみられる。このような状況の変化を前に、伝統的な新聞広告やビラを模範として、さらに価格や所在の伝達を想定して形成された営利的言論法理は、従来通りの有効性を維持できるとは考えにくい。

 そこで、本稿では我が国における営利的言論の自由及びその規制を中心に、営利的言論における諸問題について、最高裁判例をもとに考察していく。さらに、アメリカの合衆国最高裁判所判例をもとに営利的言論法理の展開を鳥瞰する。

 

第1章 営利的言論の意義

 

 営利的言論については解決されていない問題がある。それは、そもそも「営利的言論」とは何かという問題である。先に述べたように営利的言論の定義付けは未だ成功していない。この点については営利的言論乃至営利的表現とは、「「純然たる」営利的表現であり、いわゆる「広告」である」と一般に解されている。[4]広告とは一般的には「商品類の販売、主義あるいは理念の広布、各種の会合や集会への参加の要請などを直接または間接に助長する意図で行われる告知のあらゆる形式」[5]を指すといわれているが、このような多岐にわたる広告のうち、営利的な目的をもって行われるものを「営利広告」乃至「商業広告」と一応総称することができる。よって、本稿では営利的言論を考えるにあたって、営利広告を検討していくことにする。

小括

 本章では、(以下、略)

 

第2章 我が国における営利的言論解釈の現状

 

1 最高裁判例における営利的言論

 営利的言論に関して、我が国の最高裁が明示的に判断を示した事案は少ない。リーディングケースとしては昭和36年の、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年8月10日法律第145号。以下、本稿では単に薬事法と略す。)違反事件大法廷判決[6]が挙げられる。これについては、第3章にて検討する。ただ、最高裁判決の中には、営利的言論と政治的言論の区別に言及し、あるいはこの区別に黙示的に依拠した判断を下したものも存在する。

 例えば、補足意見ではあるが、昭和62年大分県屋外広告物条例違反事件第3小法廷判決[7]において、伊藤正己裁判官は、本件条例が「政治的表現であると、営利的表現であると」を区別することなく、広告物一般を規制対象にしているが、もしそれが「思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によって審査され」ると述べており、営利的広告規制と政治的広告規制では異なった審査基準が用いられることを示唆している。

2 立法における営利的言論の区別

 判例とは異なり、立法の場面での営利的言論は、極めて一般的な分類として様々な場面で用いられている。また、前述のとおり、営利広告規制は膨大な量があり、その規制方法も多様である。食品衛生法(昭和22年法律第233号)や薬事法における表示義務や制裁、あるいは不当景品類及び不当表示防止法(昭和37年法律第134号)上の規制は、営利的言論という範疇を当然の前提にして構成されている。もちろん、法的規制以外にも膨大な業界の自主規制が敷かれている。もっとも、このような規制でも、自主規制の根拠が法定されている場合もある。[8]立法における特殊なものとしては、東京都屋外広告物条例において、あえて「非営利広告」という概念を用い、「国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないよう留意」していることが注目される。[9]したがって、立法の場面では、営利的言論とそれ以外の言論の区別は、一般化していると考えられる。

 3 学説における営利的言論解釈

 今日、我が国の指導的解釈は、営利的言論も表現の自由の一環であることを承認するが、その特性に鑑みて特殊な取り扱いが認められるという立場である。例えば、「学説では一般に表現の自由の保護に値すると考えられている。もっとも、表現の自由(日本国憲法 昭和21年11月3日公布 第21条1項。以下、単に憲法とする。)の重点は、自己統治の価値[10]にあるから、営利的言論の自由の保障の程度は、非営利的(すなわち政治的)言論の自由よりも低いと解される。」[11]、との主張がある。また、営利的言論が表現活動と経済活動の二面性を併用していることに営利広告特有の規制根拠を求める立場もある。[12]

 他方、このような学説に対して、営利的言論と他の言論範疇を区別する根拠が十分に正当化されていないことを指摘し、営利的言論といえども他の言論範疇の規制におけるのと同様な法理が適用されるべきであるとする立場がある。[13]さらに、経済的活動と精神的自由権を区別する二重の基準[14]自体を排斥し、営利的言論を政治的言論より低価値だとする解釈を批判する立場もある。[15]この批判は、精神的自由権経済的自由権の峻別に関わる二重の基準の根拠[16]を問い直すという影響を与えるが、営利的言論の処遇をめぐる議論は、司法審査の根幹に関連する問題にも波及するという重要性をもっている。

 小括

  本章では、(以下、略)

                                       第3章 営利的言論規制

  

  本章では、営利的言論を考察するにあたって、営利広告が憲法上どのように扱われるべきかを正面から扱った唯一の最高裁判決である最高裁昭和36年2月15日大法廷判決(刑集15巻2号347頁。)を検討する。

  そもそも、営利広告として捉えられるものも、①特定の商品販売のための広告、商品知識の啓蒙を目的とする広告、無形の能力・技能の広告、書籍販売といった思想伝達の目的をも同時に有している広告などの「内容」による区別、②マスメディアの進歩にともなって伝達の「方法」としての音声・電波・印刷などによる区別、さらに、③伝達の「場所」としての道路広場などの公的場所、戸別訪問などによる区別があり、それらを、一般的乃至総括的に営利広告として法的に処理・規制することは不適当との指摘もある。[17]

本件事案は、このような広汎・複雑な「広告」の中の特殊な一事例である。

本判決は、あん摩師はり師きゅう師及び柔道整復師法(以下、単にあん摩師等法と呼ぶ。)7条が広告事項を施術者の氏名・住所・免許業務の種類等に限定していることにつき、「もしこれを無制限に許容するときは、」「虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような」結果をおそれたためで、「国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない」として、是認したものである。これは、①本案が、営利広告に一般的な商品の販売広告ではなく、営業それ自体若しくは能力の広告に属するものであり、②本件で憲法判断の対象になった広告制限は、今日よくみられる虚偽誇大な広告の制限ではなく、「真実広告」の制限であり、③伝達の方法が、ビラによるものであるため、伝達方法、場所の点においても、局所的な一広告にすぎない。そこで、本件事案に対する先例的拘束性も、このような特殊性との関連においてのみ考慮されなければならないことになる。[18]7条の合憲を主張する多数意見は、「もしこれを無制限に許容するときは、虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞」や「適切な医療を受ける機会を失わせる…おそれ」「国民の保健衛生上の見地」「公共の福祉の維持」の理由から、憲法21条に反しないとした。これは、虚偽誇大の虞を理由として、真実広告の禁止、さらには、真実広告の一類型たる適応症広告の禁止をも理由付けようとするものあり、真実広告・適応症広告制限の理由付けとしては不十分である。。この場合、一般的には、弁護士・医師などに対する広告制限の社会的根拠(職業倫理の問題)や、特定の薬品、例えば「がん」その他の特殊疾病に使用される薬品の広告制限(薬事法67条)や、避妊薬の一般的広告禁止、あるいは、煙草、酒の広告制限の事例を参考に、真実広告・適応症広告を制限する積極的理由が、取締上の便宜以外にあるのか否かを示すべきであった。また、特に本件の場合、薬事法66条の誇大広告制限とは異なり、真実広告をも制限する根拠を具体的に論証すべきであったように思われる。さらに、違憲判断を行った奥野少数意見の場合も、同法7条は、正当な適応症の広告を禁止しているとしか解釈しえないのか否かという法律解釈上の疑問があるが、真実広告・正当広告を禁止しうる事例がありうる点の考慮が必ずしも十分でないように思われる。すなわち、本事案において憲法上問題とされるべき、真実広告の制限に関しては、積極的に憲法判断を行った多数意見・奥野少数意見ともに十分に言及されていない。また、本判決では、同条の広告禁止を憲法21条の問題としなかった垂水補足意見にも注目すべきである。これは、アメリカの判例・学説上の「二種の基準」説[19]に根拠を置き、「営利広告」という総括的概念を法的判断基準となすものであるが、営利性の基準を法的基準として採用することは、理論的にも疑問が多く、判例法上にも、その価値を失っているとされる。[20]

 公衆の保健・衛生に深い関わりあいをもつ可能性のある医療類似の業務について、職業選択の自由・営業の自由(憲法22条1項)[21]に対する権力的規制の一環として、特定の業種に従事する者に対して資格の制限を設け、さらに、虚偽または誇大な広告を禁止することは、合理的な法規制であるといえるが、虚偽・誇大に流れやすいからという広告のもつ本質を前提として、およそ業務内容に関する一切の広告を禁圧することは、疑問である。同じく公衆の保健・衛生に関連する医薬品の販売については、虚偽・誇大な広告のみを禁止している薬事法66条の規定に対して、著しく均衡を失しているといえる。

 そこで、多数意見の論拠を支えている前提は、表面化はしていないが、①表現の一種であるとしても、営利広告は、一般の(政治)思想表現の自由と同等の憲法上の保障をうけないということか、②あん摩・はり・きゅう等の医業類似行為が、明治以来の西洋医学優位の歴史のもとで、法規範上、副次的・劣悪な承認しか受けていないのではないかということになるであろう。

 憲法の規定が表現の自由に関しては、公共の福祉による制約を明示していないのに対し、経済的自由権については、それを明示していることから、前者は絶対的保障を、後者は相対的保障を意味するという学説がある。[22]垂水裁判官の補足意見は、端的に営利広告一般を表現ではなくむしろ経済的活動としてとらえ、かつ経済的自由権表現の自由ほど強い保障を受けるものではないことを、アメリカの例を挙げて判示する。

 アメリカでは、営利広告は表現の自由に含まれないとの判例がある。しかし、「営利的基準」[23]によって言論の内容を区別する立場に関しては、個々の事案によって非営利的なものと営利的なものとを明確に区別することは困難であり、この基準を採用した際は多くの言論が営利的であるとされ、合憲法的に規制されて表現の自由が狭くなるという見解がある。[24]そして、営利性の基準を法的基準として採用することは、理論的にも問題が多く、判例法のうえにもその価値を失っている。ことにニューヨーク州での中絶をあっせんする広告をめぐって争われた。この表現の自由の保障の強弱を、表現されるものの内容によって区別して考える「二種の基準」説は、ある種の言葉を他の言葉に対して優遇することとなり、総体的にみると表現の自由を狭くすることになるといえる。[25]広告は、たとえ営利的なものであったとしても、それが虚偽誇大にわたらぬかぎり、社会の知る権利[26]という見地からみて、これを表現の自由の中に含ませて保護することは、現代社会が必要とするところであり、取締りの便宜のために、事前・包括的に禁止することは、正当な広告の自由を奪うものである。広告が虚偽誇大になることを防止するためには、同業者の専門的知識による「相互監視」や、消費者の苦情、行政的取締りによって処理することが考えられる。

 あん摩・はり師等の行う「医業類似行為」とは、「疾病の治療又は保健の目的をもって光熱器械・器具その他の物を使用、応用し、又は四肢もしくは精神作用を利用して施術する行為であって、医師等の資格を有する者が、その範囲内でする診療施術でないものをいう」(仙台高判昭和29年6月29日高裁刑特報36号85頁)とされている。そして、技能、技術方法又は経歴に関する広告は、夙に、明治44年内務省令10号按摩術営業取締規則、同年内務省令11号鍼術灸術営業取締規則による規制があり、昭和22年、昭和39年の「あん摩師等法」に受け継がれている。このような広告規制は、旧医療法69条と同様の方式ではあるが、医療法では、内科・外科等の診療科目の広告を認めているのに対し、あん摩師等法7条[27]は、あん摩師等がその業務又は施術に関し、方法の如何を問わず、同条1項各号に列挙する事項以外につき、広告を禁じ、広告可能な事項についても、上記の規制を設けており、厚生大臣の指定事項として「もみりようじ」等を広告しうるに過ぎない。[28]これは、戦後の士・師法の氾濫による特定業種の利益保護への志向と関連をもっているが、あん摩師等の教育・試験制度による近代化、医師と同様の職業倫理の確立が、国家法レベルで目的とされていながら、これらの職業集団の現実が明治以来の西洋医学優越の歴史の下で、経済・社会的に劣悪な状況にあり[29]、医業類似行為という捉え方の中にも、あん摩等は副次的なものといえる。最高裁はかつて、あん摩師等以外の無資格者による医業類似行為でも現実に人の生命・健康に有害でないものは自由に行いうると判示したが(最判昭和35年1月27日刑集14巻1号33頁)、これに対し同件では、一定の資格を得て灸を正業として行う者が、その灸の適応症を広告することができないという奇妙なことになる。したがって、7条は虚偽誇大な広告のみを禁止したものとして限定解釈すべきであったと考える。

小括

 本章では、(以下、略)

 

第4章 合衆国最高裁判所における営利的言論法理

 

 おわりに

 

参考文献

 

・長谷部恭男『憲法【第5版】』(新世社、2011年)

伊藤正己憲法【第3版】』(弘文堂、1995年)

松井茂記日本国憲法【第3版】』(有斐閣、2007年)

佐藤幸治日本国憲法論』(成文堂、2011年)

芦部信喜憲法【第5版】』(岩波書店、2012年)

・橋本基弘「営利的言論の自由憲法の争点【ジュリ増刊】()

・長岡徹・メディア判例百選

・橋本基弘「営利的言論(1)(2・完)」法学新法103巻1号、6号

・橋本基弘「営利的言論法理の現在」法学新法112巻11=12号

松井茂記「営利的表現と政治的表現」法学教室113号

・橋本基弘・憲法の争点(第3版)

・橋本基弘・憲法判例百選Ⅰ<第4版>

佐藤幸治憲法【第3版】』(青林書院、1995年)

・長谷部恭男『憲法【第4版】』(新世社、2008年)

・石村善治・憲法判例百選Ⅰ(別冊ジュリスト)

・鵜飼信成『憲法』(岩波全書、1956年)

伊藤正己「言論・出版の自由」(岩波書店、1959年)

・尾吹善人「言論の自由と営利目的」法律時報33巻5号

 

[1] 情報商材に関する判例として、東京地判平成20年10月16日先物取引判例集53巻352頁。

[2]①虚偽の広告の禁止につき、旧医療法69条6項、同71条5項、薬事法66条1項、金融先物取引法68条、訪問販売等に関する法律8条の2、宅地建物取引業法32条、旅行業法12条の8、食品衛生法12条。②誇大広告乃至誤解を招き易い広告の禁止につき、薬事法66条1項2項、金融先物取引法68条、訪問販売等に関する法律8条の2、宅地建物取引業法32条、旅行業法12条の8、不当景品類及び不当表示防止法4条、食品衛生法12条。③違法な行為や商品の広告の禁止につき、売春防止法5条3号、同6条3号、薬事法68条。

[3] 営利的言論(commercial speech)には、確立した定義は存在しないため、定義自体が問題となる。この点については、第1章で検討する。

[4] 松井茂記「営利的表現と政治的表現」法学教室113号28頁。

[5] 世界大百科事典10(平凡社、2007年)212頁。

[6] 最大判昭和36年2月15日刑集15巻2号347頁。

[7] 最判三小昭和62年3月3日刑集41巻2号15頁。

[8] 例として、旧景品表示法第10条。公正取引委員会の認定を受けて自主的に規約を作成するもので、自主規制という体裁はとっているものの、その内実は法規制とみなされる。

[9]東京都屋外広告物条例第1条及び第5条の5参照。

[10] 表現の自由の価値としては、①個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的価値(自己実現の価値)、②言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)がある。

[11] 芦部信喜憲法 第五版』(岩波書店、2011年)186頁。

[12] 橋本公亘『日本国憲法【改訂版】』(有斐閣、1988年)278~279頁。

[13] 松井茂記・前掲28頁以下。

[14] 二重の基準の理論とは、表現の自由を中心とする精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規律する立法よりも、特に厳しい基準によって審査されなければならない、という理論である。

[15] 森村進財産権の理論』(弘文堂、1995年)159~160頁。

[16] 二重の基準の理論根拠としては、①民主政の過程との関係、②裁判所の審査能力との関係が挙げられる。

[17]石村善治・憲法判例百選38頁。

[18] 石村善治・前掲39頁。

[19]

[20] 伊藤正己・言論・出版の自由199頁。

[21] 営業の自由においては、明文に定めはないが、判例職業選択の自由に含まれて保障されている。

[22] 鵜飼信成『憲法』(岩波全書、1956年)78頁。

[23]

[24] 伊藤正己「言論・出版の自由」(岩波書店、1959年)198頁。

[25] 尾吹善人「言論の自由と営利目的」法律時報33巻5号17頁。

[26] 知る権利は、「国家からの自由」という伝統的自由権であると同時に、参政権(国家への自由)的役割をもつ。個人が様々な事実・意見を知ることで政治に有効に参加でき、自身の生活をより良くすることにも資する。

[27] あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)

第7条 あん摩業、マツサージ業、指圧業、はり業若しくはきゆう業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。

一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所

二 第一条に規定する業務の種類

三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項

四 施術日又は施術時間

五 その他厚生労働大臣が指定する事項

2 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。

[28] 「その他厚生労働大臣が指定する事項」(あん摩師等法7条1項5号)につき、広告しうる事項

一 もみりようじ

二 やいと、えつ

三 小児鍼

四 医療保険療養費支給申請ができる旨(申請については医師の同意が必要な旨を明示する場合に限る。)

五 予約に基づく施術の実施

六 休日又は夜間における施術の実施

七 駐車設備に関する事項

[29] 石村善治・前掲注17書39頁。

【憲法】東大ポポロ事件(最大判昭和38年5月22日)

 

こんばんは、marginal62です。

今回は、おもしろいものを見つけましたので載せてみました(笑)

以下の論文は、私が大学1年生になりたての頃のゼミの発表記事です。

法律を学び始めて数か月目の発表でしたが、予想通りのクオリティーです(笑)

そのままのっけておきました。

 

学問の自由と大学の自由-ポポロ事件

最高裁昭和38年5月22日大法廷判決

 

事実の概要

1952(昭和27)年2月20日東京大学公認の学生団体「ポポロ劇団」が正式許可を得て、松川事件(※1)に取材した内容の演劇発表会を開催した。この発表会に警備情報収集のため、入場券を購入して私服で入場していた警察官数名が学生に発見され、捕えられた。この際、被告人学生は、他の学生とともに逃走しようとする警察官を逮捕し、服のボタンを引きちぎる等の暴行を加えたとして、暴力行為等処罰法Ⅰ条1項(六法P1541)違反で起訴された。警察官3名は、謝罪文を書かされ、警察手帳を取り上げられた後に解放された。奪われた手帳によると、複数の私服警察官が少なくとも1950年7月以降連日のように大学構内に入り、張り込み、尾行、盗聴等の方法により、学生、教職員、学内団体等の調査・情報収集を行っていた人か判明した。

 

語彙

※1 松川事件…1949年8月17日に発生した列車転覆事件。

共産党の仕業と考えられ、多数の党員等が逮捕起訴された。

OINT

        被告の救済支援活動をはじめとして、学者・文化人・市民にまで至る国民的運動が広く展開し、判決そのものから裁判のあり方まで司法制度上の問題を追及する事件となった。

 

学生運動…学生が集団的・組織的に行う社会的・政治的運動

労働争議…労と使との間に発生する争議

・公安…政治的集団の観察やテロに対しての備えを行う

 

時代背景

戦後政治の転換期で発生した象徴的な事件であった。当時、極東では朝鮮戦争の進行、国内では占領体制から安保体制への転換などの政治情勢の下で、その動向に反対する運動が全国的に大学を拠点として拡がっていた。このような大学への警察内偵活動を阻止しようとした学生との衝突が頻出したが、この代表的事件が本件である。

論点

  • 学生は大学の自治の主体となるか。
  • 警察の介入は大学の自治を侵すことになるのか。
  • 教授の自由が憲法上保障されるか。
  • 大学の自治の内容をいかに解すべきか。
  • 大学における学生の学問の自由の性格。
  • 実社会の政治的社会的活動に当たる行為は憲法23条によって保障されるか。

判旨

①・②

(前提として学問の自由と大学の自治を享有する主体は教授その他の研究者であり、学生はそれらの自由と自治の効果として学問の自由と施設の利用が認められているにすぎないとして)大学における学生の集会もその範囲において自由と自治を認められるにすぎず、「実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない」ので、「本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

 

憲法23条の学問の自由は、広くすべての国民に対して学問研究の自由とその研究結果の発表の自由を保障するとともに、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨とする。よって、教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれにふくまれるものではない。しかし、大学については、憲法の趣旨と学校教育法52条により、教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由が保障される。

大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治は、特に大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断によって選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の機能が認められている。

もとより、憲法23条の学問の自由は、学生も一般の国民と同じように享有する。しかし、大学の学生として一般の国民以上に学問の自由を享有し、施設を利用できるのは、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。

大学における学生の集会も、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない。

また、その集会が特に一般の公衆の入場を許す場合には、むしろ公開の集会又はこれに準ずるものというべきである。本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものではなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準ずるものであって、大学の学問の自由と自治は、享有しない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を侵すものではない。

結論

この最高裁大法廷判決は、憲法23条の学問の自由の意味、そこで保障される大学の自治の構造等の諸問題を最高裁として初めて本格的に検討し、その後の学説と実務に大きな影響を及ぼしている。その後の学説と実務の展開もふまえて言うならば、そこには以下のような注目に値する論点が含まれている。

Ⅰとくに大学における学問の自由の保障

本件大法廷判決は、憲法23条が、学問の自由をすべての国民に保障するとともに、とくに学術研究の中心である大学における学問の自由を保障しようとするものだとする。なにが真理・真実であるかにかかわる学問活動には、多数決でことを決する政治は介入すべきでないとする公理を憲法23条の基礎に読み取るならば、大学の中と外で学問の自由の保障の仕方が質的に異なるはずがないし、大学と下級教育機関で学問の自由の保障の程度に質的な差異が出てくるはずもない。研究・教育機関一般について考慮されるべきであろう。その後の学説においては、この点について再検討を求める強い動向がみられる。

Ⅱ学問の自由と教育(教授)の自由

本件大法廷判決は、大学における教授の十裕を別として、学問の自由には含まれないとする。しかしⅠⅠで指摘しておいた公理をふまえるならば、この点についても再検討すべき大きな余地がある。「教科書裁判」とのかかわりもあって、学界ではこれを批判的に検討する動きが強く、また、実務でも下級教育機関の教師の教育の自由を認める「杉本判決」も出ている。最高裁も「学テ判決」では、普通教育の教師に、完全な教育の自由はないとしながらも、一定の範囲内で教育の自由が認められるとしている。なお、その後の学説・実務のいずれかにおいても、教育の自由の根拠が憲法23条のみに求められているわけではないことに留意すべきであろう。

Ⅲ大学における学生の自由と自治

本件大法廷判決は、第一審判決と大きく異なり、

大学における学生の自由と自治を、教授その他の研究者の「自由と自治の効果」にすぎないとしている。大学=営造物論、学生=営造物使用者論である。その結果、学生は大学の自治の担い手とも解されていない。しかし、これに対しては学説上の批判がとくに強く、本件大法廷判決後にもその批判をふまえた判決がみられる。「学生は、大学における不可欠の構成員として、学問を学び、教育を受けるものとして、その学園の環境や条件の保持及びその改変に重大な利害関係を有する以上、大学自治の運営について要望し、批判し、あるいは反対する当然の権利を有す」。確かに、学説上も、学生が大学の管理運営にどこまで参加できるかについては一致をみないが、学生の自由と自治に直接かかわる領域については参加が特に考慮されるべきであろう。

Ⅳ警察と大学と学生

本件大法廷判決は第一審判決と異なって、学生の学内集会が政治性をもち、公開のものである場合には、直ちに大学の自治の保障外としている。加えて、それらの点についての第一次的判断権さえも大学から奪ってしまっている。政治的な活動であるか否か、教育的にみて必要な活動であるか否かの判断権を大学から大きく奪ってしまっている。大学における研究・教育・学習の活動が警察官のたえまなき監視の下におかれ、本件第一審判決がいうように「警察国家的治安」状態をもたらしかねない。しかし、本件の、1・2審判決やこの解説のⅠを前提とすれば、学生が、自治の主体であると否とにかかわらず、大学における自由や自治を侵害する行為を阻止することは、当然に認められているはずである。正当防衛は、被侵害者に限定されないからである。

私見

この判例では当時の価値観と時代背景を考慮し、考えていかなければならない。この事件の2か月後に日本はGHQ(アメリカ)からの独立を果たす。その中の政治情勢にあって反対運動が全国展開していた時の代表的な判例であり、現在も大学の自治についての判例として挙げられている。

ポポロ事件については、学生による一方的な暴力行為である反面、大学内活動警察権力の監視と査察の下に置かれることを是認するには、学問の自由、大学の自治の持つ国法上の価値は余りにも貴重であった。この事件を機に大学の自治能力の反省と変化が起こり始めたと考える。しかし、今日の大学人は特権にふさわしい自学と責務と努力をしておらず、歴史として忘れ去られている感じが否めない。

更に今日では、むしろ社会や国民に「開かれた大学」としての自治や改革のあり方が問われており、学生運動も下火が続いている状態である。だが、最近も京大で公安の捜査官が学生に捉えられるなど、警察と学生(保守派と革命派)の対立は続いているのである。

参考文献

  イラスト http://consti.web.fc2.com/8shou3.html

  憲法判例百選Ⅰ[第6版]91 学問の自由と大学の自治

   竹内俊子 

  別冊ジュリスト 学問の自由と学生の自治 杉原康雄

  別冊ジュリスト 学問の自由と大学の自治 佐藤 司

  大学の自治と警察権の発動 谷村唯一郎

  Jurist増刊 学問の自由と大学の自治 戸波江二

  Jurist増刊 教育の自由 内野正幸

  法律時報 学問の自由と大学の自治 小林直樹

  判例時報 東京劇団ポポロ事件に関する大法廷判決 

   日本評論新社

懐かしい勉強の軌跡

ふと、本棚を探っていたときに懐かしいものを見つけました、marginal62です。
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これらは、私が大学に入りたてホヤホヤのときに勉強した、行政書士民法をまとめたものです。
おそらく、テキストをまとめたのだと思います。
が、そもそも資格試験のテキストは既にまとまりきっているものが大半なので、ほとんど丸写しになったはず笑
テキストだと持ち運びに不便だし、かといって本を切ることに抵抗があったため、どこでも勉強できるようにまとめていました。
なので、大半は汚れていたりボロついたものでした(載せた画像のものは綺麗なやつです。笑)。
自分でまとめるとビジュアルで思い出せたりするので、私は今でもこのようにまとめることが多いです。
因みに、現在勉強している労働安全衛生法をまとめたものが↓
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最初はわかりきっている基本的なこともしっかり確認することが大切ですね。
後々時間がなくなってくるとできなくなりますし、司法試験や予備試験だと基本的な事項(趣旨)から考えて論述していくので、難しい試験ほど基本は大切だと感じます。
私のブログもこれが原点なのかな、、笑
固すぎるブログになるのも嫌なので、ちょくちょく違うテイストの記事も書いていきますね。

ほのぼのしたい

こんばんは、marginal62です。
ふと、ほのぼのしたいと思い買ってみました。
深町なかさんの画集。
絵が好きです。
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深町なか画集 ほのぼのログ ~大切なきみへ~

深町なか画集 ほのぼのログ ~大切なきみへ~

【番外】破産法②

 

おはようございます、marginal62です。

今回は、昨日に引き続き番外編②ということで、同じく破産法から論文形式の記事です。

 

<破産手続開始決定の効果について>

 破産手続開始の効果として中心は、破産者からの財産管理処分権の剥奪と破産管財人への専属(破産法(以下、法令名省略。)78条1項)、及び破産債権者の個別的権利行使の禁止(100条1項)である。以下、法人に対する効果と自然人に対する効果をそれぞれ説明する。

1 法人及び自然人に共通の破産手続開始の効果

 両者に共通するものとして、説明義務及び重要財産開示義務がある。

説明義務は、破産者の財産の内容や所在、破産に至った経緯などに関する情報を提供させ、破産管財人の管財事務遂行の資料とし、また破産債権者が管財事務に対する監督を行うための資料を提供させるためのものである。

さらに、破産者は、破産手続開始後遅滞なく、その所有する不動産、現金、有価証券、預貯金その他裁判所が指定する財産の内容を記載した書面を裁判所に提出しなければならない(重要財産開示義務。41条)。これは、破産管財人などからの求めの有無にかかわらず、裁判所に対し定型的に重要財産に関する書面による開示義務を課した点に特徴がある。

これら2つは、それぞれ義務違反があれば、破産犯罪(268条1項2項、269条)となり、また免責不許可事由ともされる(252条1項11号)。

2 法人に対する破産手続開始の効果

 法人に対して破産手続開始決定がなされると一般法人法や会社法の規定に基づき法人は解散する。しかし、通常とは異なり解散に引き続いての清算手続はなされず、破産管財人による清算がこれに代わる。ただし、破産手続開始後であっても、破産法人の法人格は、破産の目的の範囲内でなお存続するものとみなされる(35条)。なぜなら、破産法人の財産管理処分権は破産管財人に専属するが(78条1項)、あくまで財産の帰属主体は破産法人であり、破産清算が完了するまでその法人格を存続させる必要があるためである。破産手続が進行し、配当が行われ、220条2項に基づいて破産手続終結決定の公告がなされると、その時点で破産法人の法人格は消滅する。

3 自然人に対する破産手続開始の効果

 (1)居住制限

   破産者の所在把握のため、破産者は申立てに基づいて裁判所の許可なくその居住地を離れることができない(37条1項)。申立て却下に対する不服申立てとして、即時抗告が認められる(37条2項)。また、これに違反すれば、免責不許可事由となる(252条1項11号)。なお、破産者に準じる者(法人の理事など)にも居住制限が課される。

 ⑵引致

   破産者が説明義務を尽くさないなど必要があると認めるときは、裁判所は引致状を発して、破産者の引致を命ずることができる(38条1項3項)。引致には、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則中の勾引に関する規定が準用される(38条5項)。引致を命ずる決定に対しては、破産者又は債務者は即時抗告によって不服を申し立てることができる(38条4項)。なお、破産者に準じる者(法定代理人など)についても引致が可能である。

 ⑶通信の秘密制限

   破産管財人が破産者の財産状態や取引関係を把握するために必要があると認めるときは、裁判所は、破産者宛の郵便物や信書便物を破産管財人に配達するように信書送達事業者に嘱託することができ(81条1項)、破産管財人は受け取った郵便物等を自ら開封し読むことができる(82条1項)。これは、憲法21条2項により保障された通信の秘密に合理的制限を加えたものである。

また、破産者は破産管財人へ配達嘱託の取り消しを求めることができる。裁判所は破産管財人の意見を聴取したうえ、取り消すこともできる。変更も同様であり、取消や変更は、裁判所の職権で行われることもある(81条2項)。

破産手続が終了したときは、裁判所は配達嘱託を取り消さなければならない(81条3項)。

破産者は、破産管財人に配達された郵便物等の閲覧請求ができ、破産財団に関しない郵便物等の交付を求めることができる(82条2項)。

なお、不服申立てとして、破産者又は破産管財人は即時抗告ができるが、即時抗告には執行停止の効力はない(81条5項)。

 ⑷資格制限

   弁護士、公認会計士、後見人などの公法上あるいは私法上の資格を有する者が破産手  

 続開始決定を受け、未だ復権していないときは、それぞれの資格をうることはできない

 し、また、現に有している資格は失う。

 株式会社の取締役については、現に取締役である者が破産手続開始決定を受けた場合、会社法330条により会社と取締役との関係が委任とされていることから、民法653条2号の規定によって取締役を退任しなければならない。

 また、破産手続開始決定を受けた者を新たに取締役に選任できるかについては、会社法制定後は規定が存在しないことから、株主総会の判断に委ねている。

 

 

【参考文献】

・伊藤眞 破産法・民事再生法【第2版】 有斐閣 2009年

・佐藤鉄男ほか 民事手続法入門【第4版】 有斐閣 2013年

【番外】破産法

こんにちは、marginal62です。

今回は、番外編として破産法から論文形式の記事の投稿です。

レジュメにはなってないかな、、

 

<各種概念の意義及び関連する解釈論>

第1 破産原因について

 破産原因については、すべての債務者に共通する破産手続開始原因として、破産法(以下、法令名省略。)15条1項で支払不能を挙げ、同条2項で、それを推定するための事情として支払停止を規定する。また、存立中の合名会社及び合資会社を除く法人につき、16条は、付加的な原因として債務超過を挙げ、さらに223条において、相続財産に関する唯一の原因として債務超過を規定する。信託財産については、支払不能及び債務超過が破産原因である(244条の3)。

1 支払不能・支払停止 

すべての債務者に共通する破産手続開始原因である支払不能とは、債務者が支払能力を欠くために、その債務のうち弁済期にあるものにつき一般的かつ継続的に弁済することができない状態をいう(2条11号)。ここで、「支払能力を欠く」とは、財産、信用、あるいは労務による収入のいずれをとっても、債務を支払う資力がないことを意味する(東京高昭和33年7月5日)。債務超過との違いとしては、財産はあるも、その換価が困難であれば支払不能となるし、財産はなくとも、信用や収入による弁済能力があれば支払不能にはならない点がある。また、弁済能力の欠乏は、一般的かつ継続的であることを要する。一般的とは、総債務の弁済について債務者の資力が不足しているということであり、継続的とは、一時的な手元不如意を排除する趣旨である。さらに、支払不能は客観的状態を意味する。なお、支払不能かどうかは、破産手続開始決定をなすべきか否かの裁判の時を基準時として決定される。

 支払停止とは、弁済能力の欠乏のために弁済期の到来した債務を一般的かつ継続的に弁済することのできない旨を外部に表示する債務者の行為をいう。この趣旨は、支払停止に基づく法律上の推定を設けることにより破産手続開始原因の証明を容易にすることである。

支払停止は、支払不能を推定させる事実であり(15条2項)、それ自体は破産手続開始原因ではない。代表的な行為として、不渡手形を生じさせること、明示的な表示として債権者に対する通知、黙示的な表示として夜逃げなどがある。

支払停止に関する問題としては、破産手続開始原因推定事実としての支払停止と、法160条1項2号などに基づく否認の要件としての支払停止、及び法71条1項3号などに基づく相殺禁止要件としての支払停止とが同一のものかというものがある。従来は両者同一のものと考えられていたが、有力説は、両者を区別し、前者は一定時点における債務者の行為、後者は破産手続開始まで継続する客観的支払不能を意味するとする。

 3 債務超過

 債務超過とは、債務額の総計が資産額の総計を超過している状態をいう。その判断にあたっては、期限未到来の債務も債務額の中に計上される。また、債務超過の判断の基礎となる資産の評価に関しては、清算価値を基準とすべきであるという見解と、継続事業価値を基準とすべきとの見解とが対立する。事業が継続している場合には、債務の弁済は事業収益からなされるため、継続事業価値を基準とし、清算手続に移行している場合には、弁済は資産の売却により行われるから、清算価値を基準として債務超過の判断をすべきである。

第2 破産能力について

 破産能力とは、破産手続開始決定を受けうる資格、すなわち債務者が破産者たりうる資格を意味する。これは、一般的資格として定められるものである点で、民事訴訟手続上の当事者能力と共通する。破産能力をいかなる者に認めるかについては、明文の規定がなく、一般には、民事訴訟法の当事者能力に関する規定に従って、個人、法人、及び法人でない社団等に破産能力が認められる(一般破産主義。13条、民事訴訟法28条・29条)。さらに、破産法上特別に破産能力が認められるものとして、相続財産及び信託財産がある。

 個人には、等しく破産能力が認められる。一度破産手続開始決定を受けた個人が手続中に死亡したときは、227条に基づいて相続財産に対する破産手続が続行される。

 法人の破産能力に対する伝統的な考え方は、法人を私法人と公法人に区別するものである。前者については、一般に破産能力を肯定するが、後者については、法人の事業の公益性を基準として、公益性の低いものについては破産能力を肯定し、公益性の高いものについては破産能力を否定する。しかし、国家や地方自治体など(本源的統治団体)については、清算の結果法人格が消滅することを法秩序上是認しえないから、破産能力が否定される。

第3 自由財産について

 破産財団に組み入れられない財産として、自由財産があるが、これは次の3種がある。①民事執行法その他の特別法にもとづく差押禁止債権、及び権利の性質上差押えの対象とならない財産(34条3項2号)、②民事執行法上の差押禁止金銭(民事執行法131条3号)の1.5倍相当額(99万円)の金銭(34条3項1号)、及び③自由財産を裁判所がさらに拡張したもの(34条4項)である。

ここで、慰謝料請求権につき判例は、慰謝料請求権は、それが行使上の一身専属権である限り、破産財団に帰属することはないが、一身専属性を失えば破産手続開始後に差押えが可能になったものとして(34条3項2号但書)、破産財団所属財産になるとする。一身専属性が失われるのは、慰謝料請求権の金額が客観的に確定した時であり、当事者間に金額の合意が成立した時又は債務名義が成立した時などがある。

また、一般論として法人に自由財産を認めるべきか。この点、法人は生活保護の必要がなく、破産が法人の解散事由とされているため、法人に自由財産を認めるべき根拠は薄弱であり、また、破産法人の自由財産を認めると、不公平な結果が生じる。本来、破産法人の財産は、破産債権者への配当財源となるものであるが、これを自由財産とすると、破産債権者ではなく社員などの残余財産分配請求権の対象となる。これは、実質的に破産債権者より社員などの権利を優先させるものであり、破産法の基本原理に反するため、認めるべきでない。

第4 破産債権について 

破産債権とは、破産者に対して破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権であって、財団債権に該当しないものをいい(2条5項)、破産配当を受領する地位の基礎となるものである。

破産債権の成立要件として、①財産上の請求権であること、②破産者に対するものであること、③強制的実現を求めることができること、及び④破産手続開始前の原因に基づくものであり、かつ、財団債権に該当しないものであることが挙げられる。①について、財産上の請求権は金銭債権に限定されず、評価により金銭債権に転化し得るものであればよい(103条2項1号イ)。

破産債権は、それぞれの権利がもつ実体法上の優先権を考慮して、①優先的破産債権、②一般の破産債権、③劣後的破産債権、④約定劣後破産債権の順に順位が付されている。

1 優先的破産債権

破産財団所属の財産について、一般の先取特権その他一般の優先権をもつ債権は、他の破産債権に優先する(98条1項)。また、特定財産上の優先権をもつ権利者は、破産手続外の権利行使によってその優先権を実現できる、別除権者とされる(65条1項)。優先的破産債権の基礎となるのは、民法その他の法律に基づく一般の先取特権及び企業担保権などである。ここで、従業員の労働債権については、平成15年改正によって、雇主の種類を問わず期間の限定なしに先取特権の保護対象とされることとなったため(民法306条2項)、その全額が優先的破産債権となる。優先的破産債権相互間の順位は、実体法の基準によって決まる(98条3項)。

2 劣後的破産債権 

一般の破産債権に後れるものは、劣後的破産債権と呼ばれる(99条1項)。これは、実際的には、その債権が破産配当から除外されることを意味する。また、劣後的破産債権者は、債権者集会における議決権も否定される(142条1項)。しかし、破産債権である以上、破産免責の効果を受ける(253条1項柱書本文)。劣後的破産債権に該当するものとしては、破産手続開始決定後の利息、破産手続開始決定後の不履行による損害賠償金・違約金、罰金等の請求権がある。

3 約定劣後破産債権

約定劣後破産債権とは、破産債権者と破産者との間において、破産手続開始前に、当該債務者について破産手続が開始されたとすれば、当該破産手続におけるその配当の順位が劣後的破産債権に後れる旨の合意がなされた債権であり、法定の劣後的破産債権に後れる最後順位の破産債権である(99条2項)。債権者集会の議決権は否定される(142条1項)。

【参考文献】

・伊藤眞 破産法・民事再生法【第2版】 有斐閣 2009年

・佐藤鉄男ほか 民事手続法入門【第4版】 有斐閣 2013年  

9.会社法【設立】論点編

こんばんは、marginal62です。

今回は、設立分野をもう少し深く突き詰めて論点をまとめてみました。

各種資格試験に対応する記事です。

それではレジュメ化です。

 

【目次】

1 見せ金

 ⑴払込の効力

 ⑵生じる責任

2 設立中の会社

 ⑴意義

 ⑵発起人の権限

 ⑶設立費用・財産引受け・財産引受け以外の開業準備行為の処理

3 会社設立の瑕疵

 ⑴設立行為(現物出資)に対する詐害行為取消の可否

 

1 見せ金

 ⑴払込の効力

  <見せ金とは?>

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  ⇒発起人が払込取扱銀行以外の者から金銭を借入れて株式の払込に充て、会社の成

   立後にこれを引き出し、その借入金を返済すること。

  <問題>

  ⇒見せ金については明文規定がないため、効力が問題となる。

  ➡(一部)無効説(最判昭38.12.6)

   ①会社成立後の借入金を返済するまでの長短、②払戻金が会社資金として運用さ

   れた事実の有無、③借入金の返済が会社の資金関係に及ぼす影響の有無等の事情

   をもって見せ金にあたる場合は、払込は無効。

   形式的にみると個々の行為は有効。しかし、全体としてみると仮装払込のからく

   りの一環にすぎず、実質では払込があったといえない。

 ⑵生じる責任

  <見せ金をした発起人(引受人)の責任>

  ➡会社に対し、仮装した金額の全額の支払義務(52の2Ⅰ・102の2Ⅰ、102Ⅲ)

   任務懈怠責任として、会社・第三者に生じた損害の賠償責任(53)

  <仮装に関与した発起人の責任>

  ➡上記責任と同様。

   ただし、無過失を立証すれば免責(52の2Ⅱ・103Ⅱ)

  <金銭取得行為を行った取締役の責任>

  ➡任務懈怠責任(423・429)

   場合によっては、利益相反取引(356Ⅰ)となり、任務懈怠の推定等の効果。

   <場合によっての内容>

   ⇒代表取締役が会社から借り受けて弁済したような場合

  <募集設立の場合の払込取扱機関の責任>

  ➡銀行が悪意又は重過失であったときは、保管証明責任(64Ⅱ)を負う(通説)。

2 設立中の会社

 ⑴意義

  <問題>

  ⇒設立中の会社の法的性質は、権利能力なき社団とされている(通説)。では、設立

   中に発起人がなした法律行為の効果が設立後の会社に帰属することをどう説明

   付けるか?

  ➡同一性説

   設立中の会社と成立後の会社は実質的に同一のものであるとする。

   法人格が未だ付与されていない段階においても、会社の社団形成自体は徐々に

   行われており、一定の段階で権利能力なき社団たる設立中の会社の成立を認める

   ことができる。

 ⑵発起人の権限

  <事案>

  a 会社の形成・設立それ自体を目的とする行為

    EX.定款作成、創立総会の招集

  b 会社の設立にとって法律上・経済上必要な行為

    EX.設立事務所の賃借、設立事務員の受入れ

  c 会社の営業を開始する準備行為

    EX.開業準備行為

  d 営業行為

  <問題>

  ⇒設立中の会社の発起人の権限がどの程度まで及ぶのか?

  ➡設立中の会社は会社の設立を目的とするから、発起人は会社の設立のために直接

   必要な行為はもとより、設立のために事実上・経済上必要な行為まで及ぶ。

   bのうち定款で定めた設立費用(28④)の範囲内で権限を認める。

 ⑶設立費用・財産引受け・財産引受け以外の開業準備行為の処理

  <事案>

  a Aは設立手続中のB会社の株式募集の広告をした(設立費用)

  b Dは成立後のE社が使用する予定の建物を、会社の成立を条件にE社に売却する

    売買契約を締結した(財産引受け)

  c Fは成立後のG社に関する広告を行う契約を締結した(開業準備行為)

  <aについて>

  ➡定款記載の範囲内でB社に効果帰属、それを超える部分については発起人に効果

   帰属

  <bについて>

  ➡定款に記載がないものについては無効会社からの追認も不可

   DE間の売買契約は無効。

   28②は開業準備行為である財産引受けにつき、例外的に発起人の権限を認めたも

   のであり、定款に記載のない場合には追認も認めるべきでない。

  <cについて>

  ➡会社との契約は無効。会社に対し請求不可。

   <取引相手の保護は?>

   ⇒無権代理人の責任類似の責任(民法117類推)で処理。

   FG間の広告契約は無効。Fは生じた費用を発起人へ請求可能。

3 会社設立の瑕疵

  ⑴設立行為(現物出資)に対する詐害行為取消の可否

  <問題>

  ⇒株式会社において詐害的な設立行為がなされた場合、民法上の詐害行為取消権

   (民法424)により、設立行為を取り消すことはできるか?

   (持分会社においては、832②で設立取消の訴えが認められている)

  ➡肯定説(裁判例)

   832②は民法424の特則。

   株式会社の場合は一般法たる民法424が適用されるとするべき。

   <要件あてはめ>

   ①詐害性

    現物出資財産の適正な価格で株式を割り当てた場合であっても、無資力状態で

    全財産を出資すれば詐害性あり。

   ②詐害意思

    出資者(債務者)について判断し、無資力の状態で全財産を出資する場合には、

    客観的な詐害性が高いから、その旨の認識のみで足りる。

   ③受益者の悪意

    設立中の会社の発起人総代を基準として判断

 

今回は会社法設立の分野から、論点をピックアップしてみました。

 

【次回】

会社法【株式】

     

【憲法】新しい人権(判例論文)

こんばんは、marginal62です。

今回は、憲法の新しい人権に関連する判例をまとめてみました。

 

目次

 

1 13条(生命・自由・幸福追求権)と新しい人権

2 プライバシー権

  ⑴沿革と意味

  ⑵最判昭56年4月14日

  ⑶最大判昭44年12月24日

  ⑷最判平7年12月15日

  ⑸最判平15年9月12日

  ⑹最判昭63年12月20日

  ⑺最判平20年3月6日

  ⑻判例における理解

3 自己決定権

  ⑴最判平12年2月29日

  ⑵最判平3年9月3日

4 総括

 

 

1 13条(生命・自由・幸福追求権)と新しい人権

  ⑴個人の尊厳

   個人の尊厳とは、個人の平等かつ独立な人格的価値を承認することをいう。13条前段は、国家が国民個人の人格的価値を承認する、すなわち、個人は立法その他国政のあらゆる場において尊重されるという個人主義原理を表明したものである。

  ⑵13条の法的性格

   日本国憲法は、14条以下において、細かな人権規定を定めている。しかし、これらの人権規定は、歴史的に見て国家権力によって侵害されることが多かった重要な権利・自由を列挙したもので、全ての人権を網羅的に掲げたものではない(人権の固有性)。社会の変革に伴い、「自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由」として保護に値すると考えられる法的利益は、「新しいい人権」として、憲法上保障される人権の1つだと解する。その根拠が、憲法13条の幸福追求権である。この幸福追求権は、激しい社会・経済の変動により発生した諸問題に対して法的に対応する必要性が増大したため、意義が見直された。その結果、個人尊厳の原理に基づく幸福追求権は、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的・包括的な権利であり、これによって基礎づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利と解されるようになった。判例も具体的権利性を肯定している(最大判昭44年12月24日刑集23巻12号1625頁)。

  ⑶幸福追求権の意味

   幸福追求権は、個別の基本権を包括する基本権であるところ、その内容はあらゆる生活領域に関する行為の自由(一般的行為の自由)ではない。個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体をいう(人格的利益説)と解する。また、個別の人権を保障する条項との関係は、一般法と特別法の関係にあり、個別の人権が妥当しない場合に限って補充的に13条が適用される(補充適用説)。

  ⑷幸福追求権から導き出される人権

   幸福追求権からどのような具体的権利が導き出されるのか、また、それが新しい人権の1つとして承認されるのかの判断基準は定まっていない。この点、これまで新しい人権として主張されてきたのは、プライバシーの権利、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和的生存権などがあるが、最高裁が正面から認めたものはプライバシーの権利としてのいわゆる肖像権くらいである。また、これらの権利につき、明確な基準もなく、裁判所が憲法上の権利として承認することになると、裁判所の主観的価値判断によって権利が創設されることにつながる。そこで、憲法上の権利といえるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるほか、その行為を社会が伝統的に個人の自律的決定に委ねられたものと考えているか、その行為は多数の国民が行おうと思えば行うことのできるか、いっても他人の基本権を侵害する虞がないかなど、種々の要素を考慮して慎重に決定しなければならない。

2 プライバシー権

  ⑴沿革と意味

   幸福追求権を主要な根拠として判例・通説によって認められているプライバシーの権利は、「ひとりで放っておいてもらう権利」としてアメリカの判例において発展してきた。日本では、昭和39年の「宴のあと」事件第1審判決において、「私生活をみだりに公開されない権利」として次の3つの要件を満たす場合にプライバシー権が認められるとした。①私生活上の事実又は事実らしく受け取られるおそれのある事柄であり(私事性)、②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であり(秘匿性)、③一般の人にいまだ知られていない事柄であること(非公然性)。ただし、あくまでも私法上の権利として認めたものであり、憲法上の権利として認めたわけではないことに留意する必要がある。

   しかし、このように個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的・消極的なものとして理解されてきたプライバシー権は、情報化社会の進展に伴い、「自己に関する情報をコントロールする権利」(情報プライバシー権)と捉えられて、自由権的側面のみならず社会権的(請求権的)側面を生じることとなった(自己情報コントロール権説)。ここで、自由権的側面とは、国家が個人の意思に反して接触を強要し、みだりにその人に関する情報を収集し利用することが禁止され、また、個人の人格的生存には直接かかわりのない外的事項に関する情報についても、国家がみだりにこれを集積し又は公開することは禁止されることを意味する。さらに、社会権的(請求権的)側面とは、個人情報が行政機関によって集中的に管理されていることから、国家機関の保有する自己の情報の開示や訂正・削除を公権力に対して積極的に請求していくことをいう。

  ⑵最判昭56年4月14日

   本判例は、「前科及び犯罪経歴(以下、『前科等』という。)は、人の名誉、信用に直接かかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」とし、これらの情報がプライバシー権の保護の対象になるか否かは明言していないが、伊藤裁判官補足意見では、「前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つ」であるとしている。自己情報コントロール権説からは、個人の道徳的自律の存在に直接関わる情報(プライバシー固有情報)に位置付けられ、個人の意に反した情報の取得・利用は直ちにプライバシー侵害となる。

  ⑶最大判昭44年12月24日

   本判例は、個人の私生活上の自由の一つとして、本人の承諾なしに、みだりに容貌等を撮影されない自由があり、それが憲法13条によって保障されるとしたが、肖像権についてはふれていない(「これを肖像権と称するかどうかは別として」としており、肖像権を認めるとも認めないとも言っていない)。

   審査基準の面では、「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われるとき」に限り写真撮影を認めるものであり、比較的厳格な基準によるものと解される。

  ⑷最判平7年12月15日

   本判例は、「指紋は」「それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるのではない」とし、固有情報性を否定しつつ、「性質上万人不同性、終身不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある」と指摘し、指紋を手掛かりに個人情報を名寄せできるという指紋のインデックス性を承認し、「何人も」「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」が「我が国に在留する外国人にも等しく」保障されるとして、その保障が外国人にも及ぶことを明らかにした。合憲性の判断基準の観点からは、少なくとも厳格な審査基準を採用しているとはいえないと解されるところ、学説はインデックス情報であるにも関わらず緩やかに審査した点に批判をする。しかし、押なつの頻度、対象指紋の数、強制の程度等を踏まえ、「精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえ」ないとしており、さらに開示・公表が問題となっているわけでもないので、制約の程度は低いと解される。

  ⑸最判平15年9月12日

   本判例の調査官解説は、プライバシーの権利を、「私的領域への介入を拒絶し、自己に関する情報を自ら管理する権利」と捉えたうえで、「情報開示の態様によるプライバシー侵害において、『他人に知られたくない私生活上の事実又は情報をみだりに開示されない利益又は権利』を個人の人格的な利益であるプライバシーの利益又は権利として認めることができよう。」としている。そのうえで、「他人に知られたくないかどうかは、一般人の感受性を基準に判断すべきである。」とし、「具体的な情報がプライバシーとして保護されるべきものであるとされるためには、①個人の私生活上の事実又は情報で、周知のものでないこと、②一般人を基準として、他人に知られることで私生活上の(私生活における心の)平穏を害するような情報であること、が必要であると考えられる。」としている。

  ⑹最判昭63年12月20日

   本判例における第1の争点は、聞きたくない音(表現)を聞かない自由を憲法上どのように位置づけるかという点である。この点、伊藤裁判官補足意見は、「個人が他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益」であると捉え、13条の問題とした。他にも、21条1項をもとに消極的知る自由と解することもできる。

   第2の争点は、伊藤裁判官が指摘する、「侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうか」である。この点、上記自由保護の要請は、基本的に住宅などプライベートな場所において妥当し公共の場では弱まること、しかし、公共交通機関内部では、移動の必要から乗車等を拒否できないこと、視覚と異なり聴覚の性質上聞くことを拒否できないことに鑑み、再度この要請が強まると解される。

   また、本件では地下鉄の利用関係が公法関係か私法関係かが問題となるが、伊藤裁判官は後者として捉えている。この理解によると、間接適用説(人権保障の精神に反する行為については、私法の一般条項(民90条、709条)を媒介として人権規定の価値を私人間にも及ぼす)を前提に、上記自由と対立する利益との比較衡量となる。他方、Y市交通局が公営企業である点を重視すれば、憲法の人権規定を直接適用できることになり、この場合、人格権を大阪市という公権力が脅かしているので、その行動の目的と手段につき合理性の基準を用いて判断することになる。

  ⑺最判平20年3月6日

   本判例は、「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」を住基ネットが「侵害するものではない」とし、権利に対する制約がないと解している。この根拠としては、主に①その利用等が、法令等によって、正当な行政目的の範囲内に限定されていること、②住基ネットの「構造」乃至アーキテクチャの堅牢性(システムの安全性、懲戒・刑罰による漏洩等の厳格な禁止、監視機関等、適切な運用を担保するための制度的措置の存在)から、「正当な」範囲を超えて(みだりに)本人確認情報が開示等される「具体的危険」もないことにある。

   また、本判例で問題となっているのは、実際に開示・公表があったかではなく、第三者にみだりに開示・公表される具体的危険の有無である。このような危険が認められたならば、具体的に開示・公表がなされていなくとも、上記自由の侵害が認められうる。

  ⑻判例における理解

   最高裁は一義的に明確な内容を有する権利としての「プライバシー権」という概念を認めていないが、公権力との関係において、「みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由」「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」が、それぞれ「個人の私生活上の自由」の一つとして憲法13条により保障されるとしている。また、私法上の不法行為の成否等が問題となった場合において、「前科をみだりに公開されないという利益」「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益」が法律上の保護に値する利益であるとし、「大学主催の講演会に参加を申し込んだ学生がその氏名、住所等を他者にみだりに開示されないことへの期待」は法的保護に値するから、上記情報は「プライバシーに係る情報」として法的保護の対象になると判断している。これらの最高裁判例は、私生活をみだりに公開されない権利を基調とし、自己情報コントロール権説を取り込んだ考え方を採用していると評される。

3 自己決定権

  プライバシーの権利を自己情報コントロール権として捉えると、それ以外にプライバ

シー乃至私生活上の自由と考えられてきたもの、例えば、家族の在り方を決める自由

やライフスタイルを決める自由、生命の処分を決める自由など、個人の人格的生存に

かかわる重要な私的事項を公権力の介入・干渉なしに各自が決定できる自由は、情報

プライバシー権とは別個の憲法上の具体的権利と解されることになる。これが、いわ

ゆる自己決定権(人格的自律権)である。これは、情報プライバシー権と並んで広義の

プライバシーの権利を構成するものと解する。ただ、我が国では自己決定権を正面か

ら認めた判例は存在せず、別の観点から争われたにとどまる。

  ⑴最判平12年2月29日

   本判例は、「輸血を伴う医療行為を拒否する」という「意思決定をする権利」は「人格権の一内容」として尊重されなければならないと判示し、医師の説明懈怠はこの権利を侵害する不法行為であるとした。これは、インフォームドコンセントを受ける権利という一種の自己決定権を認めたものとみることができる。

  ⑵最判平3年9月3日

   私人間効力が問題となる事案。昭和女子大事件(最判昭49年7月19日)と同様、三菱樹脂事件判決(最大判昭48年12月12日)を憲法規定の私人間への直接適用・類推適用を否定する文脈において用いている(間接適用とされるものではない)。本判例により、昭和女子大事件が判示した包括的権能論は、学校一般に妥当することとなったと解される(昭和女子大事件では「大学は、国公立であると私立であるとを問わず」「包括的権能を有する」としており、大学における話に限定されていると読むことができた。また、国公立・私立を問わない点、射程範囲は広範であった。対して、最判平3年9月3日は、高等学校における事案である。)。

4 総括

  本稿では、新しい人権についての基本的な前提知識を確認するとともに、新しい人権

の中でも特にプライバシー権及び自己決定権について重点を置き、各主要な判例を検

討することで最高裁の基本的な理解を考察した。1では、新しい人権を認める根拠で

ある憲法13条についての法的性格、幸福追求権の意味及び幸福追求権から導き出される人権を検討した。2では、まずプライバシー権の沿革と意味について検討し、それに関係する主要な判例を6つ挙げ最高裁の基本的理解を考察した。3では、自己決定権について2つの判例を挙げて紹介した。

 

 

 

参考文献

・長谷部恭男『憲法【第5版】』(新世社、2011年)

伊藤正己憲法【第3版】』(弘文堂、1995年)

佐藤幸治日本国憲法論』(成文堂、2011年)

芦部信喜憲法【第5版】』(岩波書店、2012年)

・石村善治・憲法判例百選Ⅰ(別冊ジュリスト)

法律初学者におススメの判例学習の本は、

こんばんは、marginal62です。

今回は、私が今でもたまに読む本の紹介です。

判例学習というと、王道は判例百選や重判といったところでしょうか。

しかし、初学者には若干とっつきにくいかもしれません。

そこで、

法律入門 判例まんが本〈4〉憲法の裁判100

法律入門 判例まんが本〈4〉憲法の裁判100

 

 これ。

これは憲法ですが、各種法律も出ております。

個人的には刑法が好きです。漫画が面白く描かれておりクスッときます(笑)

ぜひ一読してみてください。

8.会社法【設立】④

 

会社法 第4版 (LEGAL QUEST)

会社法 第4版 (LEGAL QUEST)

 
会社法 第3版 (LEGAL QUEST)

会社法 第3版 (LEGAL QUEST)

 

 

こんばんは、marginal62です。

今回で会社法の設立分野のレジュメ化をいったん終えたいと思います。

(意外と長かった、、)

次回は、設立の分野に関する論点についてみていこうと考えてます。

 

【目次】

1 総説

2 設立手続

  ⑴発起設立

  ⑵募集設立

3 設立中の法律関係

4 違法な設立・会社の不成立

5 設立に関する責任

 

4 違法な設立・会社の不成立

 ⑴会社の不成立

  会社の不成立とは、会社の設立が途中で挫折し、設立の登記まで至らなかった場合

  をいう。

  この場合、発起人は連帯して株式会社の設立に関してした行為について責任を負う

  (無過失責任。56)。

 ⑵会社設立の無効

  設立無効の訴えは設立登記から2年以内に(828Ⅰ①)、株主等(同Ⅱ①)のみが提起可

  能(会社債権者は提訴権者に含まれていない。→債権者保護は53Ⅱで。)。

  設立無効の判決が確定すると、その効力は第三者に対し(対世効)、将来に向かって

  生じる(将来効)

  設立無効の訴えで、原告敗訴の場合、判決の効力は当事者間にしか及ばない(民事訴

  訟法115Ⅰ)。

 ⑶無効事由

  設立手続に重大な瑕疵がある場合。

  EX.①定款の絶対的記載事項が欠けていたなど重大な瑕疵の存在

      ②設立時発行株式を1株も引き受けない発起人がいる場合

    ③公証人による定款の認証がない場合

    ④株式発行事項につき発起人全員の同意(32)がない場合

    ⑤設立に際して出資される財産の価格の最低限として定款に定められた金額

     (27Ⅳ)に相当する出資がなされていない場合

    ⑥募集設立において創立総会が適法に開催されていない場合

    ⑦設立登記が無資格者の申請に基づくなどの理由で無効である場合

     など

 ⑷会社の不存在

  会社の不存在とは、会社の設立手続の瑕疵が甚だしく、そのことが外観上も明らか

  な場合をいう。(狭く限られている)

 

5 設立に関する責任

 設立に関する違法行為や不正行為につき、会社法は発起人等に罰則を定め、過料に

 よる抑止を図っている。

 ⑴財産価格の填補責任

  現物出資・財産引受けの、会社設立時を基準とする目的財産の価格が 定款に定め

  た価格に著しく不足するとき、発起人・設立時取締役は会社に対して、連帯して、

  その不足額を支払う責任を負う(不足額支払義務。52Ⅰ)。

  ただし、発起設立の場合、①検査役の調査を得たとき、②当該発起人・設立時取締

  役が無過失を証明したときは、これらの者は免責となる(同Ⅱ)。

  募集設立の場合、設立時募集株式の引受人は自衛能力が十分でないため、②による

  免責は認められない(103Ⅰ)。

 ⑵仮装の出資履行についての責任

  株式匹人が出資の履行を仮装した場合、会社に対し所定の額の金銭を支払う義務を

  負う(52の2Ⅱ・102のⅠ)。

  出資の履行の仮装に関与した発起人も同額の金銭の支払い義務を負うが、注意を怠

  らなかったことを証明すれば免責(52の2Ⅱ・103Ⅱ)。

  両者の責任は、連帯責任。

 ⑶会社・第三者に対する責任

  発起人・設立時取締役・設立時監査役は、その任務の懈怠から会社に生じた損害を

  賠償する責任を負う(53Ⅰ)。

  責任を免除するには、総株主の同意を要する(55)。

  また、職務を行うについて悪意・重過失により第三者に生じた損害を賠償する責任

  を負う(53Ⅱ)。(会社成立後の役員等が会社・第三者に負う賠償責任(423・429)に相

  当)

 ⑷擬似発起人の責任

  擬似発起人とは、募集設立において募集の広告その他募集に関する書面に創立委員

  などとして自己の氏名及び会社の設立を賛助する旨を記載することを承諾した者を

  いう。

  この者は発起人ではないが、発起人とみなして会社法52~56・103ⅠⅡの責任を負

  う(103Ⅳ)。

 

以上で、一通り設立分野のレジュメ化を終えました。

【次回】

会社法【設立】論点