marginal62の書籍レジュメ化ブログ

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【憲法】新しい人権(判例論文)

こんばんは、marginal62です。

今回は、憲法の新しい人権に関連する判例をまとめてみました。

 

目次

 

1 13条(生命・自由・幸福追求権)と新しい人権

2 プライバシー権

  ⑴沿革と意味

  ⑵最判昭56年4月14日

  ⑶最大判昭44年12月24日

  ⑷最判平7年12月15日

  ⑸最判平15年9月12日

  ⑹最判昭63年12月20日

  ⑺最判平20年3月6日

  ⑻判例における理解

3 自己決定権

  ⑴最判平12年2月29日

  ⑵最判平3年9月3日

4 総括

 

 

1 13条(生命・自由・幸福追求権)と新しい人権

  ⑴個人の尊厳

   個人の尊厳とは、個人の平等かつ独立な人格的価値を承認することをいう。13条前段は、国家が国民個人の人格的価値を承認する、すなわち、個人は立法その他国政のあらゆる場において尊重されるという個人主義原理を表明したものである。

  ⑵13条の法的性格

   日本国憲法は、14条以下において、細かな人権規定を定めている。しかし、これらの人権規定は、歴史的に見て国家権力によって侵害されることが多かった重要な権利・自由を列挙したもので、全ての人権を網羅的に掲げたものではない(人権の固有性)。社会の変革に伴い、「自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由」として保護に値すると考えられる法的利益は、「新しいい人権」として、憲法上保障される人権の1つだと解する。その根拠が、憲法13条の幸福追求権である。この幸福追求権は、激しい社会・経済の変動により発生した諸問題に対して法的に対応する必要性が増大したため、意義が見直された。その結果、個人尊厳の原理に基づく幸福追求権は、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的・包括的な権利であり、これによって基礎づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利と解されるようになった。判例も具体的権利性を肯定している(最大判昭44年12月24日刑集23巻12号1625頁)。

  ⑶幸福追求権の意味

   幸福追求権は、個別の基本権を包括する基本権であるところ、その内容はあらゆる生活領域に関する行為の自由(一般的行為の自由)ではない。個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体をいう(人格的利益説)と解する。また、個別の人権を保障する条項との関係は、一般法と特別法の関係にあり、個別の人権が妥当しない場合に限って補充的に13条が適用される(補充適用説)。

  ⑷幸福追求権から導き出される人権

   幸福追求権からどのような具体的権利が導き出されるのか、また、それが新しい人権の1つとして承認されるのかの判断基準は定まっていない。この点、これまで新しい人権として主張されてきたのは、プライバシーの権利、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和的生存権などがあるが、最高裁が正面から認めたものはプライバシーの権利としてのいわゆる肖像権くらいである。また、これらの権利につき、明確な基準もなく、裁判所が憲法上の権利として承認することになると、裁判所の主観的価値判断によって権利が創設されることにつながる。そこで、憲法上の権利といえるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるほか、その行為を社会が伝統的に個人の自律的決定に委ねられたものと考えているか、その行為は多数の国民が行おうと思えば行うことのできるか、いっても他人の基本権を侵害する虞がないかなど、種々の要素を考慮して慎重に決定しなければならない。

2 プライバシー権

  ⑴沿革と意味

   幸福追求権を主要な根拠として判例・通説によって認められているプライバシーの権利は、「ひとりで放っておいてもらう権利」としてアメリカの判例において発展してきた。日本では、昭和39年の「宴のあと」事件第1審判決において、「私生活をみだりに公開されない権利」として次の3つの要件を満たす場合にプライバシー権が認められるとした。①私生活上の事実又は事実らしく受け取られるおそれのある事柄であり(私事性)、②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であり(秘匿性)、③一般の人にいまだ知られていない事柄であること(非公然性)。ただし、あくまでも私法上の権利として認めたものであり、憲法上の権利として認めたわけではないことに留意する必要がある。

   しかし、このように個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的・消極的なものとして理解されてきたプライバシー権は、情報化社会の進展に伴い、「自己に関する情報をコントロールする権利」(情報プライバシー権)と捉えられて、自由権的側面のみならず社会権的(請求権的)側面を生じることとなった(自己情報コントロール権説)。ここで、自由権的側面とは、国家が個人の意思に反して接触を強要し、みだりにその人に関する情報を収集し利用することが禁止され、また、個人の人格的生存には直接かかわりのない外的事項に関する情報についても、国家がみだりにこれを集積し又は公開することは禁止されることを意味する。さらに、社会権的(請求権的)側面とは、個人情報が行政機関によって集中的に管理されていることから、国家機関の保有する自己の情報の開示や訂正・削除を公権力に対して積極的に請求していくことをいう。

  ⑵最判昭56年4月14日

   本判例は、「前科及び犯罪経歴(以下、『前科等』という。)は、人の名誉、信用に直接かかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」とし、これらの情報がプライバシー権の保護の対象になるか否かは明言していないが、伊藤裁判官補足意見では、「前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つ」であるとしている。自己情報コントロール権説からは、個人の道徳的自律の存在に直接関わる情報(プライバシー固有情報)に位置付けられ、個人の意に反した情報の取得・利用は直ちにプライバシー侵害となる。

  ⑶最大判昭44年12月24日

   本判例は、個人の私生活上の自由の一つとして、本人の承諾なしに、みだりに容貌等を撮影されない自由があり、それが憲法13条によって保障されるとしたが、肖像権についてはふれていない(「これを肖像権と称するかどうかは別として」としており、肖像権を認めるとも認めないとも言っていない)。

   審査基準の面では、「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われるとき」に限り写真撮影を認めるものであり、比較的厳格な基準によるものと解される。

  ⑷最判平7年12月15日

   本判例は、「指紋は」「それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるのではない」とし、固有情報性を否定しつつ、「性質上万人不同性、終身不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある」と指摘し、指紋を手掛かりに個人情報を名寄せできるという指紋のインデックス性を承認し、「何人も」「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」が「我が国に在留する外国人にも等しく」保障されるとして、その保障が外国人にも及ぶことを明らかにした。合憲性の判断基準の観点からは、少なくとも厳格な審査基準を採用しているとはいえないと解されるところ、学説はインデックス情報であるにも関わらず緩やかに審査した点に批判をする。しかし、押なつの頻度、対象指紋の数、強制の程度等を踏まえ、「精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえ」ないとしており、さらに開示・公表が問題となっているわけでもないので、制約の程度は低いと解される。

  ⑸最判平15年9月12日

   本判例の調査官解説は、プライバシーの権利を、「私的領域への介入を拒絶し、自己に関する情報を自ら管理する権利」と捉えたうえで、「情報開示の態様によるプライバシー侵害において、『他人に知られたくない私生活上の事実又は情報をみだりに開示されない利益又は権利』を個人の人格的な利益であるプライバシーの利益又は権利として認めることができよう。」としている。そのうえで、「他人に知られたくないかどうかは、一般人の感受性を基準に判断すべきである。」とし、「具体的な情報がプライバシーとして保護されるべきものであるとされるためには、①個人の私生活上の事実又は情報で、周知のものでないこと、②一般人を基準として、他人に知られることで私生活上の(私生活における心の)平穏を害するような情報であること、が必要であると考えられる。」としている。

  ⑹最判昭63年12月20日

   本判例における第1の争点は、聞きたくない音(表現)を聞かない自由を憲法上どのように位置づけるかという点である。この点、伊藤裁判官補足意見は、「個人が他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益」であると捉え、13条の問題とした。他にも、21条1項をもとに消極的知る自由と解することもできる。

   第2の争点は、伊藤裁判官が指摘する、「侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうか」である。この点、上記自由保護の要請は、基本的に住宅などプライベートな場所において妥当し公共の場では弱まること、しかし、公共交通機関内部では、移動の必要から乗車等を拒否できないこと、視覚と異なり聴覚の性質上聞くことを拒否できないことに鑑み、再度この要請が強まると解される。

   また、本件では地下鉄の利用関係が公法関係か私法関係かが問題となるが、伊藤裁判官は後者として捉えている。この理解によると、間接適用説(人権保障の精神に反する行為については、私法の一般条項(民90条、709条)を媒介として人権規定の価値を私人間にも及ぼす)を前提に、上記自由と対立する利益との比較衡量となる。他方、Y市交通局が公営企業である点を重視すれば、憲法の人権規定を直接適用できることになり、この場合、人格権を大阪市という公権力が脅かしているので、その行動の目的と手段につき合理性の基準を用いて判断することになる。

  ⑺最判平20年3月6日

   本判例は、「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」を住基ネットが「侵害するものではない」とし、権利に対する制約がないと解している。この根拠としては、主に①その利用等が、法令等によって、正当な行政目的の範囲内に限定されていること、②住基ネットの「構造」乃至アーキテクチャの堅牢性(システムの安全性、懲戒・刑罰による漏洩等の厳格な禁止、監視機関等、適切な運用を担保するための制度的措置の存在)から、「正当な」範囲を超えて(みだりに)本人確認情報が開示等される「具体的危険」もないことにある。

   また、本判例で問題となっているのは、実際に開示・公表があったかではなく、第三者にみだりに開示・公表される具体的危険の有無である。このような危険が認められたならば、具体的に開示・公表がなされていなくとも、上記自由の侵害が認められうる。

  ⑻判例における理解

   最高裁は一義的に明確な内容を有する権利としての「プライバシー権」という概念を認めていないが、公権力との関係において、「みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由」「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」が、それぞれ「個人の私生活上の自由」の一つとして憲法13条により保障されるとしている。また、私法上の不法行為の成否等が問題となった場合において、「前科をみだりに公開されないという利益」「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益」が法律上の保護に値する利益であるとし、「大学主催の講演会に参加を申し込んだ学生がその氏名、住所等を他者にみだりに開示されないことへの期待」は法的保護に値するから、上記情報は「プライバシーに係る情報」として法的保護の対象になると判断している。これらの最高裁判例は、私生活をみだりに公開されない権利を基調とし、自己情報コントロール権説を取り込んだ考え方を採用していると評される。

3 自己決定権

  プライバシーの権利を自己情報コントロール権として捉えると、それ以外にプライバ

シー乃至私生活上の自由と考えられてきたもの、例えば、家族の在り方を決める自由

やライフスタイルを決める自由、生命の処分を決める自由など、個人の人格的生存に

かかわる重要な私的事項を公権力の介入・干渉なしに各自が決定できる自由は、情報

プライバシー権とは別個の憲法上の具体的権利と解されることになる。これが、いわ

ゆる自己決定権(人格的自律権)である。これは、情報プライバシー権と並んで広義の

プライバシーの権利を構成するものと解する。ただ、我が国では自己決定権を正面か

ら認めた判例は存在せず、別の観点から争われたにとどまる。

  ⑴最判平12年2月29日

   本判例は、「輸血を伴う医療行為を拒否する」という「意思決定をする権利」は「人格権の一内容」として尊重されなければならないと判示し、医師の説明懈怠はこの権利を侵害する不法行為であるとした。これは、インフォームドコンセントを受ける権利という一種の自己決定権を認めたものとみることができる。

  ⑵最判平3年9月3日

   私人間効力が問題となる事案。昭和女子大事件(最判昭49年7月19日)と同様、三菱樹脂事件判決(最大判昭48年12月12日)を憲法規定の私人間への直接適用・類推適用を否定する文脈において用いている(間接適用とされるものではない)。本判例により、昭和女子大事件が判示した包括的権能論は、学校一般に妥当することとなったと解される(昭和女子大事件では「大学は、国公立であると私立であるとを問わず」「包括的権能を有する」としており、大学における話に限定されていると読むことができた。また、国公立・私立を問わない点、射程範囲は広範であった。対して、最判平3年9月3日は、高等学校における事案である。)。

4 総括

  本稿では、新しい人権についての基本的な前提知識を確認するとともに、新しい人権

の中でも特にプライバシー権及び自己決定権について重点を置き、各主要な判例を検

討することで最高裁の基本的な理解を考察した。1では、新しい人権を認める根拠で

ある憲法13条についての法的性格、幸福追求権の意味及び幸福追求権から導き出される人権を検討した。2では、まずプライバシー権の沿革と意味について検討し、それに関係する主要な判例を6つ挙げ最高裁の基本的理解を考察した。3では、自己決定権について2つの判例を挙げて紹介した。

 

 

 

参考文献

・長谷部恭男『憲法【第5版】』(新世社、2011年)

伊藤正己憲法【第3版】』(弘文堂、1995年)

佐藤幸治日本国憲法論』(成文堂、2011年)

芦部信喜憲法【第5版】』(岩波書店、2012年)

・石村善治・憲法判例百選Ⅰ(別冊ジュリスト)