marginal62の書籍レジュメ化ブログ

はじめまして、marginal62です。訪問いただきありがとうございます。ここでは、自分が読んだ書籍を自分なりにレジュメ化したものを掲載しております。専攻している法律系の書籍が中心となりますが、その他にも気になったものはレジュメ化していきます。レジュメ化する趣旨は、自身の学習の過程をついでに発信してしまおうというものです。これを見てくださった方の学習等にも役立ち、また、コメント等を通じて情報や意見の交換ができれば、なお嬉しいです。各種資格試験にも挑戦しております(法律系)。その経過も記事にしていきます。

アダム・スミス『道徳感情論』『国富論』

アダム・スミスはその著書『道徳感情論』において、3つの徳性として、慎慮・正義・慈恵の徳性をあげる。これは、市民社会における基本的な諸特性である。ここで正義の徳性について、スミスは道徳の領域の問題として考えている。また、慈恵の徳性について、人々は私益の追求のみならず、公益にも配慮するという。そして、正義の徳性については同感の原理を、慈恵の徳性については見えざる手の思想を、それぞれの説明原理として用いている。

スミスは、人間の本性の中にある原理として、利己的なもの(自愛心)と哀れみまたは同情の2つをあげる。スミスは、哀れみ・同情と同感は明らかに違った意味合いを持つという。すなわち、同感の対象領域は哀れみ・同情よりも拡大されており、人間の喜びや悲しみのすべてに及んでいるのである。では、人々の同感はどのようにして成立するのか。この点、観察者は自分の立場にとどまらず当事者の立場に自らを能動的に置いて考察し、また、観察者の努力のみならず、当事者は観察者がついていける程度に自分の情念を抑える努力が必要である。したがって、同感を成立させるには、観察者と当事者の双方の努力が必要なのである。さらに、同感の成立は社会的規模のものでなければならず、中立的な観察者が当事者の行動の諸原理に入り込めるように(同感できるように)当事者は行動しなければならない。スミスは、この中立的な観察者のことを人々の良心(世論)と考えている。したがって、中立的な観察者である世論の同感が成立するような私益の追求は正義であるということになる。スミスは、人間の本性を情念とする人間観の立場にいながらも、利己心は悪徳であるという間違いを同感の原理によって指摘し、私益の追求には正しいものもあるということを明らかにした。それは同時に、伝統的な国民管理の道徳思想に代わり、政治権力という強制力に日常的に依存せず、市民の自律的な力によって自由な活動の中に正義を実現するという道徳的自由主義の成立を表すものであった。

次にスミスは、私益の追求と公益への配慮が両立し得る問題を取り上げる。つまりスミスは、目的原因のためにした行動がある結果(私益)を発生させるが、同時に作用原因(見えざる手)によって違う結果を発生させるという。また、スミスは、自然現象を説明するときに人々は目的原因と作用原因を区別するのに対し、社会現象を説明するときには両者を混合しがちであると指摘する。そして、目的原因が正しい限り、その正しい私益の追求と公益への配慮は両立するのである。

 スミスは、その著書『国富論』において文明社会の豊かさの秘密を明らかにすることを課題としている。ここで、文明社会の豊かさとは生活の必需品と便益品とが人々に多く供給されていることである。そして、スミスによると文明社会の豊かさの秘密は分業の結果であったという。すなわち、文明社会は同時に分業社会であり、また、分業が原因で労働の生産諸力において最大の改善が実現し、その結果文明社会も豊かになったという原因と結果の関係で分業と労働の生産諸力の関係は考えられている。ここで分業社会とは、分割された労働を担う自由な諸個人が社会的に結合されている状態をいう。そして、このような分業社会の形成が文明社会の行き詰まりを打開するもの考えられていた。そして分業の導入した結果、技能の増進(労働力の質的向上)や時間の節約(労働密度の強化)、機械の発明(労働する人間が用いる生産手段の改善)がなされ、生産諸力を増大させるという。他方、分業が発展するにつれ、社会全体を見通す視点が人々の頭脳から失われていく危険性があることも指摘している。

スミスは価値論によって、分業社会の基本構造を明らかにしている。ここで価値という言葉には、ある特定の対象物の効用(使用価値)とその所有から生じる他の財貨に対する購買欲(交換価値)の二通りの意味がある。ある特定の対象物の効用とは、財貨の交換を望む相手にとってそれを消費することで自分の欲望を満足させるものをいう。また、使用価値は交換という社会的な行為を成立させる重要な要因であり、交換価値も同様の役割を果たす。換言すると、交換という社会的な行為・関係が成立するためには、使用価値と交換価値という社会的な機能をもったものが同時に成立しなければならないのである。

以上より、文明社会の豊かさ(労働の生産諸力の改善)を実現するには、分業社会、すなわち分割された労働を担う自由な諸個人を社会的に結合する社会システムを形成することであるということになる。また、価値論においては分業社会の基本構造を明らかにし、そこには同時に政治権力の介入を日常的には避けて、正義の判定者たる貨幣を通じて(市場を通して)自由な経済活動を維持していこうとする、スミスの経済的自由主義が成立した。